魔女と魔無しと〜0〜
「全員手を挙げろ! 少しでも動いたらブチ殺すぞ!」
突如として響いた怒号が、平穏な昼下がりの空気を叩き壊す。 王都エスラキアに店を構える、とある料理店。昼食時ということもあり、ほぼ満員状態だった店内は、一瞬にしてパニックに陥った。 なにしろ、いきなり銃を手にした男達が店内に侵入してきたのだ。これで落ち着いている方が嘘というものである。 当然、店内にいた客は、席から転がり落ちる様にして逃げ出そうとする。 しかし、 「動くなって言っただろうが!」 店内に鳴り響く銃声によって、その動きも止められてしまう。 「次に動いた奴は本当に殺すからな! 解ったら妙な真似はするんじゃねぇぞ!」 天井への威嚇射撃を行った男が、苛立ちも露わに吐き捨てる。 穿たれた天井から落ちる木屑は、店内の客の動きを止めるには十分な効果を発揮していた。 それを見て満足したのか、男は他の三人の仲間に客の見張りを任せ、カウンターに立っていた店主へと歩み寄り銃口を突き付けた。 当然、金を要求するつもりなのだ。店主を脅し始める男。 他の店内の客は、男の仲間達によって見張られており誰も動くことが出来ない……はずであった。 「おい手前ら、動くなって言ったのが聞こえなかったのか!」 客を見張っていた男の内の一人が、それにようやく気付いた。 店の一番奥のテーブル。まるで何事もないかのように食事を続ける、二人の男女。 男の方は、目の前にあるステーキに一心不乱に齧り付き、その横で優雅にコーヒーの入ったカップを口に運んでいるのが、女であった。 二人とも、見た目はまだ若い。二十代の前半といったところだろう。 青年の方は大陸では珍しい黒髪黒瞳で、その点でも多少は人目を引いていた。 女性の方は、流れるような長いブロンドの髪に、切れ長の碧い瞳。見た目にはどこかの貴族のお嬢様といった風情で、カップを口に運ぶ仕草も様になっているのだが、この状況では明らかに浮いていた。 怒り混じりの男の声など、まるで聞こえていないかのようにして食事を続ける二人。 自分達に向けられた銃口や、切迫した周囲の状況など、まるで気にも留めていない様子だ。 無論、強盗の男がそれに黙っているはずもない。 「聞こえてんのかお前ら! 冗談じゃねぇんだぞ!」 歩調も荒々しく、食事を続ける男女のテーブルに歩み寄り、銃口を今度は青年のこめかみに突き付ける。 既に撃鉄は起こされ、指もトリガーに掛かっている。ほんの少しその指に力を込めれば 、青年の頭を銃弾が撃ち抜いてしまう状態だ。 そこで、ようやく青年が食事を止めた。持っていたナイフとフォークをテーブルに置き、自分の傍らに立つ男へと目線を上げる。 「ヴェハイム社の回転式拳銃か。見たところ旧式のようだが、それでもあんたらのような連中が手に入れられるような品物じゃないはずだがな」 「な、何で――」 銃を見ながらの青年の言葉に、男は狼狽した。青年の言っていることが、全て正解だったからである。 しかも、そこまで解っていながら、目の前の青年は至って落ち着いている。 銃口を頭に押し付けられて、どうしてこうも平静でいられるのか。 それは女の方も同様で、こちらはコーヒーを飲む手すら休めようとはしない。男のことなど、まるで眼中にないかのような振る舞いである。 当然のように、男はそれに激昂した。 「お前ら、舐めてんのか!」 トリガーに掛かった指に、男が力を込める。 瞬間、青年が動いた。銃を持った男の手を眼にも止まらぬ速さで上に払うと、椅子から立ち上がり、男の顔面に拳を叩きこんだ。 放たれた銃弾は天井へと逸れ、男は折れた歯を撒き散らしながら床へと倒れこむ。 「テ、テメェら何を……!」 「――ミリス!」 その後の対応も速い。 仲間を倒され色めき立った男達は、当然銃口を青年に向けようとする。しかし、その内一人は、それすらかなわず銃をとり落としてしまった。その手には、食事用のナイフが刺さっている。 ミリスと呼ばれた女性が、青年が動くのと同時に、テーブルから拾い上げて投擲したのだ。 投擲と同時に動き出していたミリスは、悲鳴をあげて蹲る男に肉薄すると、その顎を下から蹴り上げた。 強烈なつま先の一撃は、男の意識を飛ばすのに十分すぎるものだったようで、男は声もなく崩れ落ちる。 どうにか銃を構えることができた男も、しかし、そこまでだった。 先に殴り倒した男などには目もくれず、青年は既に動いていた。 自分に狙いを付けられたことを悟った青年は、自分と男を結ぶ延長線上にあったテーブルを男に向かって蹴り飛ばした。 床に据え付けではないものの、決して軽くない木製のテーブルが、のっていた料理ごと宙を舞う。 これには流石に、他の客達も逃げ惑う。しかし、それを制止するほどの余裕は、男には無かった。 なにしろテーブルは男目掛けて落ちてくるのだ。頭の中は避けることだけで精一杯になっている。 けたたましい音と共に床へと落下したテーブルの下敷きになることは、男は幸いにも避けられた。 だが、既に接近を終えていた青年からは逃れられなかった。 銃を持った手を捻り上げられ、そのまま床へと倒される。衝撃で肩を外され、更に駄目押しとばかりに後頭部へ踵が踏み落とされる。 痛みを感じる暇すらなく気絶したのは、果たして幸であったか不幸であったか。 「……馬鹿な。こんな、一瞬で」 ともあれ、瞬く間に三人の男が倒され、焦ったのは店主を脅していた男だ。 四人で銃を持って強盗に入ったというのに、いつの間にか仲間は倒され、残るは一人きり。 しかも、それをやってのけた二人の男女はまるで疲れた様子もない。 このままでは自分も仲間達のように殴り倒されるのは明白だった。 血反吐を吐いて倒れている仲間達に眼をやり、思わず息を飲む。 ここまで追い詰められれば、もはやするべきことなど決まり切っていた。 「お、お前ら、動くな! コイツがどうなっても良いのか!」 店主の首に腕をまわし、こめかみに銃を突き付ける。つまりは、人質ということだ。 人質を取って、男の精神にも多少の余裕が生まれてきた。 流石に、こうして人質を取ってしまえば手を出してくることはないはずだ。今の内に金を奪って、さっさとこんな場所からは逃げてしまおう――などという考えは、 「撃つなら撃てよ。別に俺は困らん」 しかし、青年のその一言によって見事に打ち砕かれてしまう。 男は一瞬、己の耳を疑った。 あまりに大胆で、あまりに過激な青年の発言だった。 事実、青年はじわじわと男との間合いを詰めていっている。 「ほ、本当に撃つぞ!?」 「だから撃つなら撃てよ。但し、撃った後のことまでちゃんと考えとけよ?」 「何を……?」 「だから、そのオッサン撃っちまったら、アンタを守るものはもう無いってこと」 言われて、男は自身の周囲を見回した。 先程の騒ぎで、既に他の客は男の周りからは逃れており、男の手近には人質になっている店主以外は誰もいない。 文字通り、人質としている店主が最後の砦というわけだ。 「言っとくが、俺はそのオッサンが殺されたらアンタを殺すぜ? 当然の報いだろ?」 「お前、本気で言ってるのか?」 「当たり前だっての。だから安心しろよ、オッサン。きっちり敵はとってやるからな」 言って、青年は店主へと笑いかけるが、実際に人質になっている店主としては堪ったものではない。 顔面を青くして、今にも卒倒しそうな勢いである。 そして、顔面を青くしているのは男の方も同じであった。 今や男は、この店に強盗に入ったことそのものを後悔していた。 なんでこんな化物のいる店に来てしまったのか。しかし、悔やんでももう遅い。 青年は、依然として歩みを止めようとはしない。 「く、来るんじゃねぇ! 来るな!」 「喚くなよ、良い大人が。みっともない」 半ば呆れたような面持ちで迫ってくる青年を前に、もはや男には選択の余地など残されていなかった。 「畜生が! お、お前の……!」 どうあがいても自分に活路はないと悟った男が、とうとう店主を道連れに殺そうとした。 しかし、店内に銃声が上がることは無かった。 代わりに上がったのは、小さな炎の塊だ。 銃を持った男の手を包みこんだ炎は、器用に銃身を避け、男の腕に広がっていく。 堪らず男は店主と銃を放り出し、床へと転がりこんだ。 悲鳴を上げながら、炎を消そうと転げまわる男。 それを見ながら、青年が口を開いた。 「ミリス、お前火薬に引火したらどうするつもりだったんだよ? ちょっとは考えろよな」 「あら、ミズキがもたもたしてたからでしょう? それに、私がそんなヘマするわけないでしょ」 ちゃんと計算してたわよ、とミリスは言うが、青年――ミズキの方は納得のいかない様子である。 まだ何か言おうと口を開いたが、しかし、その前に割って入る声があった。 「無詠唱の魔術……お、お前魔女だな!」 ようやく火を消し終えた男である。 男は明らかに怯えた様子で、ミリスを見る眼には畏怖の色すら浮かんでいた。 それも、しかし無理からぬことではある。 この世界には、マナと呼ばれるモノが至る所に存在している。このマナは、この世界に生きる全ての生命に宿っており、生命の源でもある。そして、大気中に存在するマナを操り行使することを、人々は魔術と呼んだ。 このマナに対する適応力が大幅に引き上げられたのが、魔女なのである。マナ適応力が引き上げられる原因は判明しておらず、また、その症状は女性にしか起こらない。また、遺伝などもせず、本当に突然に魔女になってしまうのである。 魔女たちは常人よりも遥かに多くのマナを体内に蓄えられるため、身体能力が高く、寿命も比べ物にならないほど長い。また、通常の魔術では必要となる詠唱や魔法陣も必要とせずに魔術を行使できるのである。 こうした異能は人々から恐れられ、東のヴァイクレン帝国などでは『魔女狩り』と称した根絶運動すら行われている。 このエスラキア王国では、比較的好意的に受け入れられてはいるものの、やはり中には魔女に対して嫌悪感を持つ者も存在するのだ。 「そうだけど、それがどうかしたかしら?」 しかし、対するミリスの答えは冷ややかだった。男の自分を見る怯えたような眼にも、特に思うところは無い様子である。 「別に、魔女が住んじゃいけないなんて法はこの国には無かったはずだけど? 私の記憶違いかしら?」 「法律も糞もあるか! 魔女なんてのはそもそも……!」 「はい、そこまで」 熱くなって言い合いを始めそうな空気を止めたのは、ミズキだ。男の首筋を手刀で打って気絶させると、ミリスに向き直る。 「こんなところで下らない議論始めてる場合じゃないだろ? ほら、帰ろうぜ」 「……ええ、そうね」 促され、ミズキへと歩み寄るミリス。 そしてそのまま、二人は店から出て行ってしまう。 残された店主と客達は、ただそれを、呆然と見送ることしかできなかった。 「……食い逃げ」 |
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